念願の伊那谷 [遺跡・遺構]
今年の夏休みも中央道方面へ展開して参りました。
この画像で場所がわかったらスゴイのですが・・・
本来ならばピンクの濃いコヒガンザクラが咲き誇る時期に訪れるべき高遠城址公園が正解です!
現代の地図を眺めても容易に理解できるのですが、高遠は戦国時代においても諏訪から伊那へと通ずる重要拠点でした。その地には南北朝の頃より諏訪氏の支族である高遠氏が一円を治めていました。要衝な地故に武田信玄の侵略に遭い、その旗下に属すことになります。そして武田軍の今後の軍事行動に相応しいように山本勘助による大規模な改修が行われたと伝えられ、更にその後の城主は諏訪(武田)勝頼や仁科五郎盛信などの武田家近親者が就いたのでした。
天正10年(1582年)の織田軍侵攻。仁科五郎盛信とその家臣らの憤死は有名。
明治新政府による城郭取壊しで、江戸期の建物や木々も取り壊されてしまいましたが、旧藩士らの手によって桜が移植されて、今日では観光の拠点となっています(伊那市観光協会のパンフより抜粋)。
教育に熱心な信州気質が、立派な藩校進徳館を残してくれています(*^^)v
(前述の経緯があるなか、よくぞ取り壊されなかったものですね)
城址公園西側の木々の間からは、中央アルプスの頂が望めます\(^_^)/
城下に時を告げていた太鼓櫓
無料駐車場になっている勘助曲輪(最初の画像)からも中央アルプスが見えるのでした
JRバス高遠駅にあった案内パンフ群の中から、昼食場所と見学スポットを選定・・・
次に向かったトコロは・・・やはりお姫様に縁のスポットへ!
伊那地方は何が素晴らしいって、東側には南アルプスも拝むことができます(*^^)v
そんな眺めの良いトコロには、
諏訪頼重の息女で武田信玄の側室となり、諏訪(武田)勝頼の母である諏訪御料人(右)と
保科正直(中央)・保科正光(左)の墓所がある建福寺があります
30分以内ならOKと立て札のあったJRバス駅付近に車を停めて徒歩で登ったところにある墓所は、ひっそりとした佇まいでした(建福寺の境内は、画像右側です)
昼食の次に向かおうとしたパンフからの候補地・・・実はこれがなかなか見つからずに付近をウロウロ。たまたま見つけた松の木が生い茂るこんもりとした墳丘のようなモノを見つけたのでした。
荒井富士塚でした
古墳かな?と思って近づいたのですが、どうやら富士山信仰の祭事(御鉢巡り)が行われたトコロのようです(一応、古墳説もあるようです(^^);)。
そしてようやく見つけた、真夏に相応しい清涼感たっぷりな艶三郎の井
明治中頃、天竜川西の高台では水利権を巡る争いが激しかったようです。そこで私財をなげうって御子柴艶三郎が井戸の開削に奔走し、ついに水脈を発見。一帯の約40haが水田となるも、「俺の命は水神となる」と遺言しなんと自刃。ご覧のとおり、現在でもこんこんと湧き出しています・・・どこぞの政治家たちにも、こういう事業を推進していただけませんでしょうかね(*_*)☆\バキ!
住宅が点在する水田の側にあっては車を停めるところもなく・・・
今日では山側から大量の水が流れており、灌漑用水には事欠かない様子
自己責任での見学でした
時間切れで高遠ダムと美和ダムを見学できなかったのが心残りでしたが、戦国時代の武田軍や織田軍の行軍に思いを寄せながら、杖突街道(R152)を宿泊施設へと走らせたのでした。
高遠城址公園
掘割の様子など城郭構造をじっくり見学したい方は、草木が生い茂る夏季と大渋滞と入園料が必要となる桜まつりの時期以外に訪れるのがいいでしょう!
なんちゃって山登り編へつづく
この画像で場所がわかったらスゴイのですが・・・
本来ならばピンクの濃いコヒガンザクラが咲き誇る時期に訪れるべき高遠城址公園が正解です!
現代の地図を眺めても容易に理解できるのですが、高遠は戦国時代においても諏訪から伊那へと通ずる重要拠点でした。その地には南北朝の頃より諏訪氏の支族である高遠氏が一円を治めていました。要衝な地故に武田信玄の侵略に遭い、その旗下に属すことになります。そして武田軍の今後の軍事行動に相応しいように山本勘助による大規模な改修が行われたと伝えられ、更にその後の城主は諏訪(武田)勝頼や仁科五郎盛信などの武田家近親者が就いたのでした。
天正10年(1582年)の織田軍侵攻。仁科五郎盛信とその家臣らの憤死は有名。
明治新政府による城郭取壊しで、江戸期の建物や木々も取り壊されてしまいましたが、旧藩士らの手によって桜が移植されて、今日では観光の拠点となっています(伊那市観光協会のパンフより抜粋)。
教育に熱心な信州気質が、立派な藩校進徳館を残してくれています(*^^)v
(前述の経緯があるなか、よくぞ取り壊されなかったものですね)
城址公園西側の木々の間からは、中央アルプスの頂が望めます\(^_^)/
城下に時を告げていた太鼓櫓
無料駐車場になっている勘助曲輪(最初の画像)からも中央アルプスが見えるのでした
JRバス高遠駅にあった案内パンフ群の中から、昼食場所と見学スポットを選定・・・
次に向かったトコロは・・・やはりお姫様に縁のスポットへ!
伊那地方は何が素晴らしいって、東側には南アルプスも拝むことができます(*^^)v
そんな眺めの良いトコロには、
諏訪頼重の息女で武田信玄の側室となり、諏訪(武田)勝頼の母である諏訪御料人(右)と
保科正直(中央)・保科正光(左)の墓所がある建福寺があります
30分以内ならOKと立て札のあったJRバス駅付近に車を停めて徒歩で登ったところにある墓所は、ひっそりとした佇まいでした(建福寺の境内は、画像右側です)
昼食の次に向かおうとしたパンフからの候補地・・・実はこれがなかなか見つからずに付近をウロウロ。たまたま見つけた松の木が生い茂るこんもりとした墳丘のようなモノを見つけたのでした。
荒井富士塚でした
古墳かな?と思って近づいたのですが、どうやら富士山信仰の祭事(御鉢巡り)が行われたトコロのようです(一応、古墳説もあるようです(^^);)。
そしてようやく見つけた、真夏に相応しい清涼感たっぷりな艶三郎の井
明治中頃、天竜川西の高台では水利権を巡る争いが激しかったようです。そこで私財をなげうって御子柴艶三郎が井戸の開削に奔走し、ついに水脈を発見。一帯の約40haが水田となるも、「俺の命は水神となる」と遺言しなんと自刃。ご覧のとおり、現在でもこんこんと湧き出しています・・・どこぞの政治家たちにも、こういう事業を推進していただけませんでしょうかね(*_*)☆\バキ!
住宅が点在する水田の側にあっては車を停めるところもなく・・・
今日では山側から大量の水が流れており、灌漑用水には事欠かない様子
自己責任での見学でした
時間切れで高遠ダムと美和ダムを見学できなかったのが心残りでしたが、戦国時代の武田軍や織田軍の行軍に思いを寄せながら、杖突街道(R152)を宿泊施設へと走らせたのでした。
高遠城址公園
掘割の様子など城郭構造をじっくり見学したい方は、草木が生い茂る夏季と大渋滞と入園料が必要となる桜まつりの時期以外に訪れるのがいいでしょう!
なんちゃって山登り編へつづく
そういえば、昨年の今頃は長野だったなぁ。
いいところですね。信州って。
by ゴーパ1号 (2012-08-12 22:18)
夏休み、伊那地方とは近くで過ごしましたね。
レポート作成まで少々お待ちください。
by レイン (2012-08-13 01:05)
歴史の深い円形分水を見せていただきありがとうございます。
これは見たいな~
普通jはサイフォン式で引き込んだ水を分水で分割するのだけど
これは地下水ですよね?
お米が美味しそうです。
by 響 (2012-08-13 02:40)
おはようございます。
ご近所にいらしてたんですね!!
by BPノスタルジックカーショー (2012-08-13 04:39)
おおっ、高遠は桜だけでなく、周辺にもいろいろチェックポイントがありますね!
湧き水美味そう(^^
ん?次はなんちゃって山登り?こちらも楽しみです(^^
あー、私も山行きてー(笑)
by さといも野郎 (2012-08-13 10:58)
うわ〜行きたいです!!
by sonic (2012-08-13 12:15)
信州の山々もイイですねぇ~~♪
by カンクリ (2012-08-14 18:09)
ゴーパ1号さん、
見所がいっぱいですよね!
by an-kazu (2012-08-14 21:34)
レインさん、
もっとじっくりと巡ってみたいトコロでした(^^)
by an-kazu (2012-08-14 21:36)
響さん、
中央道伊那I.Cの南、陸上競技場の近くであります!
クランク状になった角で、バイクならより見つけやすい
かもしれません。
by an-kazu (2012-08-14 21:42)
BPノスタルジックカーショーさん、
自分の運転で伊那方面へ初めて行ってみたのでした。
by an-kazu (2012-08-14 21:43)
さといも野郎さん、
歴史散歩にダムにループ橋(↑地図に見えてます)・・・
再訪確実であります(^^);
山登りはホントになんちゃってなので、
期待しないで下さいm(_ _)m
by an-kazu (2012-08-14 21:48)
sonicさん、
飯田線の車両を見て、
JR東海エリアを実感しました!
by an-kazu (2012-08-14 21:51)
カンクリさん、
もう少し雲が少なければもっと良かったのでしょうが、
夏の日中帯ですから仕方ありませんね(^^);
by an-kazu (2012-08-14 21:53)
高知県仁淀川町に残る伝説ですが、武田勝頼は、甲斐武田氏の縁を頼ってこの地に落ち延び、大崎玄蕃と名前を変えて、土地の豪族として生き、その子孫を名乗る人も現存しているようです。なお、武田勝頼土佐の会なるものもあります。
by Silvermac (2012-08-15 22:01)
Silvermacさん、
土佐藩士だった板垣退助、武田家重臣板垣駿河守信方の後裔
であるとして復姓したとか・・・
遠く離れた甲斐と土佐の間に、歴史のロマンがありますね(^^)
by an-kazu (2012-08-16 21:34)
こんばんは!!
写真を見ても思い出さなかったのですが、私も高遠城趾の桜を見に行ったのですよ・・・大雪で桜の木が折れて大変な時期でした。
翌年も見に行きましたよ...
緑の季節も好いですね。
by ちゃーちゃん (2012-08-18 21:15)
ちゃーちゃんさん、
赤みの濃い桜が、ココの特徴ですね!
羨ましいです(^^)
by an-kazu (2012-08-19 09:28)