相模の地で甲斐武田勢の足跡を追う [遺跡・遺構]
前回記事の目的地へと車を進める途中に、偶然見つけたスポットであります。
あの日はナビの推奨ルート(東名高速利用)ではなく、距離優先ルートを選択したことがラッキーだったのでした。
史跡三増合戦場
1569年10月、甲斐の武田信玄は二万の将兵を従えて、小田原城の北条氏康らを攻め、その帰り道に三増峠を選んだ。
これを察した氏康は、息子の氏照らの二万の将兵で三増峠で迎え撃つことにしたが、武田軍の近づくのを見た北条軍は、半原の台地上に移り態勢を整えようとした。
信玄は、その間に三増峠のふもと桶尻の高地に自ら進み出て、その左右に有力な将兵を手配りし、家来の小幡信定を津久井の長竹へ行かせて、津久井城にいる北条方の動きを押さえ、また、山県昌景の一隊を韮尾根に置いて、いつでも参戦できるようにした。北条方は、それに方々から攻めかけたのでたちまち激戦となった。そのとき、山県の一隊は志田峠を越え、北条軍の後ろから挟み討ちをかけたので、北条軍は総崩れとなって負けてしまった。この合戦中、武田方の大将浅利信種は、北条軍の鉄砲に撃たれて戦死した。
北条氏康、氏政の親子は、助けの兵を連れて荻野まで駆けつけてきたが、すでに味方が負けてしまったことを知り、空しく帰っていった。
信玄は、勝ち戦となるや、すぐ兵をまとめ、今の相模湖町まで引き上げ、勝利を祝うと共に、敵味方の戦死者の霊をなぐさめる式をとりおこない、甲府へ引き上げたという(案内板より引用)。
付近では戦死者のものと思われる人骨や六道銭が発見されているそうです。
武田信玄旗立松史跡入口・・・気になる史跡
(信玄の文字が見えなかったら、通過していたことでしょう)
この日の自宅出発はかなり遅めでしたので、この時既に1300頃。
ダム見学後に改めて立ち寄ることにしたのでした。
ダム見学後、再び上の画像地点より車をすすめる。「三増合戦 武田信玄旗立松」という案内板が道順にいくつもあり、地元の生活道路のような狭い道を進みます。それにしては、すれ違う車の多さと地元の人ではなさそうなにヘンだなぁと思いながら到着した場所は、東名厚木CCの敷地内だったのでした(^^ゞ
ゴルフ場に、ゴルフ以外の目的で来ちゃいました
(私のクルマはどれでしょう(*_*)☆\バキ!)
「ゴルフカート以外の車は侵入禁止」とあり、これ以上は車では進めません。徒歩侵入を拒む案内ではありませんので、上の画像のように車を止めて登ります。
イノシシでも出るのかな!?
たくさん注意するものがあるようです(´;ω;`)
嫌な予感がしてきましたよ┐(´д`)┌ヤレヤレ
登ってきた道を振り返ります・・・いつぞやの時と同じ目・・・かも(;´д`)トホホ…
ムスメもなんとか一緒に山登り(新宿高層ビル群やスカイツリーが見えます)(^^);
言い伝えによると、三増合戦の折、武田信玄はこの山の上の松に旗を掲げた・・・が、その松は近年の火災により消失(工エエェェ(´д`)ェェエエ工)。それを惜しみこの石碑を立て、いつまでも伝えよう・・・ということが刻まれています(脇の解説文の案内板より)
ヨコハマも
千葉県も良く見えます
江の島も見えました・・・軍勢を誇るには確かに好条件の地だったことでしょう!
訪れた宮ヶ瀬ダムも良く見えました・・・堤頂長が375mもあることが良くわかります
城山ダムっていうくらいですから、津久井湖へ行ったら津久井城見学も必須!?
あの日はナビの推奨ルート(東名高速利用)ではなく、距離優先ルートを選択したことがラッキーだったのでした。
史跡三増合戦場
1569年10月、甲斐の武田信玄は二万の将兵を従えて、小田原城の北条氏康らを攻め、その帰り道に三増峠を選んだ。
これを察した氏康は、息子の氏照らの二万の将兵で三増峠で迎え撃つことにしたが、武田軍の近づくのを見た北条軍は、半原の台地上に移り態勢を整えようとした。
信玄は、その間に三増峠のふもと桶尻の高地に自ら進み出て、その左右に有力な将兵を手配りし、家来の小幡信定を津久井の長竹へ行かせて、津久井城にいる北条方の動きを押さえ、また、山県昌景の一隊を韮尾根に置いて、いつでも参戦できるようにした。北条方は、それに方々から攻めかけたのでたちまち激戦となった。そのとき、山県の一隊は志田峠を越え、北条軍の後ろから挟み討ちをかけたので、北条軍は総崩れとなって負けてしまった。この合戦中、武田方の大将浅利信種は、北条軍の鉄砲に撃たれて戦死した。
北条氏康、氏政の親子は、助けの兵を連れて荻野まで駆けつけてきたが、すでに味方が負けてしまったことを知り、空しく帰っていった。
信玄は、勝ち戦となるや、すぐ兵をまとめ、今の相模湖町まで引き上げ、勝利を祝うと共に、敵味方の戦死者の霊をなぐさめる式をとりおこない、甲府へ引き上げたという(案内板より引用)。
付近では戦死者のものと思われる人骨や六道銭が発見されているそうです。
武田信玄旗立松史跡入口・・・気になる史跡
(信玄の文字が見えなかったら、通過していたことでしょう)
この日の自宅出発はかなり遅めでしたので、この時既に1300頃。
ダム見学後に改めて立ち寄ることにしたのでした。
ダム見学後、再び上の画像地点より車をすすめる。「三増合戦 武田信玄旗立松」という案内板が道順にいくつもあり、地元の生活道路のような狭い道を進みます。それにしては、すれ違う車の多さと地元の人ではなさそうなにヘンだなぁと思いながら到着した場所は、東名厚木CCの敷地内だったのでした(^^ゞ
ゴルフ場に、ゴルフ以外の目的で来ちゃいました
(私のクルマはどれでしょう(*_*)☆\バキ!)
「ゴルフカート以外の車は侵入禁止」とあり、これ以上は車では進めません。徒歩侵入を拒む案内ではありませんので、上の画像のように車を止めて登ります。
イノシシでも出るのかな!?
たくさん注意するものがあるようです(´;ω;`)
嫌な予感がしてきましたよ┐(´д`)┌ヤレヤレ
登ってきた道を振り返ります・・・いつぞやの時と同じ目・・・かも(;´д`)トホホ…
ムスメもなんとか一緒に山登り(新宿高層ビル群やスカイツリーが見えます)(^^);
言い伝えによると、三増合戦の折、武田信玄はこの山の上の松に旗を掲げた・・・が、その松は近年の火災により消失(工エエェェ(´д`)ェェエエ工)。それを惜しみこの石碑を立て、いつまでも伝えよう・・・ということが刻まれています(脇の解説文の案内板より)
ヨコハマも
千葉県も良く見えます
江の島も見えました・・・軍勢を誇るには確かに好条件の地だったことでしょう!
訪れた宮ヶ瀬ダムも良く見えました・・・堤頂長が375mもあることが良くわかります
城山ダムっていうくらいですから、津久井湖へ行ったら津久井城見学も必須!?
すごい眺めですね!
お嬢さんも、山登りすごいな^^
by ゴーパ1号 (2012-01-17 10:31)
ゴーパ1号さん、
この山の麓、鶴翼の陣で北条軍と戦った武田軍。
地形を考えた戦だったのでしょう・・・
積もった落ち葉で、ムスメだけでなく親も滑りそうでした(^^);
by an-kazu (2012-01-17 23:16)
これは見通しのきく場所ですね〜
この台地から横浜方面へ平地が広がるのでしょうね。
とても良い地形ですが、
そういところには必ずゴルフ場、
なんだか面白くないな、といつも素通りでした。
ともかく、
歴史に触れると、これまで見えなかったものが姿を現す、
とても興味深く拝読しました。
by e-g-g (2012-01-18 20:24)
教科書には載ることのない歴史を訪ねるのも
興味深いですね。
by しおつ (2012-01-20 16:25)
当時の合戦からみで旗立を付ける事が多いのですね。
房総には旗立山が二つあるそうです^^
このダムの堤防375mもあるのですか、凄いですねm。
by takaki-i (2012-01-20 20:19)
偶然に出会った史跡とは思えぬエピソードのある地だったのですね?
プチ登山のような探検も楽しそうではありませんか。
夜には行きたく無いかな?(笑)
by 響 (2012-01-20 21:33)
e-g-gさん、
この周辺は"残土処分場反対"の立看が、ものものしかったです。
歴史的な土地であっても、
現代の活用は一筋縄ではゆかないものですね。
by an-kazu (2012-01-22 16:28)
しおつさん、
偶然というのがチョット情けないですが、
確かに興味深いですね!
by an-kazu (2012-01-22 16:31)
takaki-iさん、
房総編も、探検候補に加えますφ(..)メモメモ
by an-kazu (2012-01-22 16:36)
響さん、
クラブハウスでトイレを借りようとしましたが、
そもそもゴルフ以外の来場者にはと躊躇してしまいました(^^);
by an-kazu (2012-01-22 16:43)
信玄の旗立て松は知らなかった。
いろいろ残っているのですね。
by ねじまき鳥 (2012-01-22 19:25)
ねじまき鳥さん、
山梨以外で・・・ちょっと驚いてしまいました(^^);
by an-kazu (2012-01-22 23:48)
こんばんは‼
いい眺めですね...高い所は怖いですが、こんな景色が見える所は最高ですね・・・(^^;
by ちゃーちゃん (2012-01-29 19:43)
こんばんは‼
いい風景ですね。私は高い所は苦手ですがこんな素敵な風景が見える所なら
良いですね・・・(^_-)-☆
by ちゃーちゃん (2012-01-29 19:51)
ちゃーちゃんさん、
もっと早い時間帯だったら、
明るくて更に良かったのでしょうが(^^);
by an-kazu (2012-01-29 21:28)