上総国分寺跡を見る [Photo]
平城遷都1,300年祭について、あの不気味なキャラクターが功を奏し(@_@)☆\バキ!
盛り上がっているようですが、私がかつて住んでいた市にも立派な国分寺が建立されていたそうです。
当時上総国分寺と上総国分尼寺が、現在の市役所庁舎を挟むように位置していた
上総国分寺の七重の塔の高さは、現在の市役所庁舎よりも高かったらしい
その七重の塔があった場所(礎石)の現在の様子
住宅地の中にあって、この周囲だけは広大な境内跡(一部)が残されている
薬師堂(ちょっとバランスがヘン!?)と市役所庁舎
当時講堂があったと思われるところには、現在の本堂が建っている
市の木「イチョウ」にふさわしい巨木がどっしりと生えている
仁王門も(薬師堂や本堂と共に)後の世になって建立されたものであり、当時の建造物は存在していない
当時と現在では、寺の向きがおよそ90度違ったらしい
西門があったところには、このように当時をしのぶことができるようになっている
聖武天皇の詔によって、一大事業として全国に造られた国分寺群も民衆の支持が得られず、律令国家と運命をともにしてしまいました。
今日の国家事業や政策は、国民の支持を得られているのでしょうか(^^;)
・・・と、難しいことはさておき(←いいのか?)、ほど近いところには上総国分尼寺跡が展示館と復元された回廊などが見学できるようになっていますが、お正月休みでしたので閉館中でした。近隣は遺跡や古墳が点在しています(ダムもある(@_@)☆\バキ!)ので、改めて訪れてみようと思います。
盛り上がっているようですが、私がかつて住んでいた市にも立派な国分寺が建立されていたそうです。
当時上総国分寺と上総国分尼寺が、現在の市役所庁舎を挟むように位置していた
上総国分寺の七重の塔の高さは、現在の市役所庁舎よりも高かったらしい
その七重の塔があった場所(礎石)の現在の様子
住宅地の中にあって、この周囲だけは広大な境内跡(一部)が残されている
薬師堂(ちょっとバランスがヘン!?)と市役所庁舎
当時講堂があったと思われるところには、現在の本堂が建っている
市の木「イチョウ」にふさわしい巨木がどっしりと生えている
仁王門も(薬師堂や本堂と共に)後の世になって建立されたものであり、当時の建造物は存在していない
当時と現在では、寺の向きがおよそ90度違ったらしい
西門があったところには、このように当時をしのぶことができるようになっている
聖武天皇の詔によって、一大事業として全国に造られた国分寺群も民衆の支持が得られず、律令国家と運命をともにしてしまいました。
今日の国家事業や政策は、国民の支持を得られているのでしょうか(^^;)
・・・と、難しいことはさておき(←いいのか?)、ほど近いところには上総国分尼寺跡が展示館と復元された回廊などが見学できるようになっていますが、お正月休みでしたので閉館中でした。近隣は遺跡や古墳が点在しています(ダムもある(@_@)☆\バキ!)ので、改めて訪れてみようと思います。
2010-01-07 22:06
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コメント(4)
トラックバック(1)
基礎がちゃんと残っているんですね~。
なんだか不思議な感じがします。。。
by とり (2010-01-09 06:12)
とりさん、
都から遠く離れたこんなところに、最大級の寺院が並んで建立されていたのかと思うと、歴史のロマンを感じます!
by an-kazu (2010-01-09 09:57)
私もここは一度訪れたのですが、その時は何かの都合で中まで見学できませんでした。
今度行ってみたいと思います。
現在の感覚から言うと東京に近い方が下総で遠いい方が上総と云うのは不思議な感じだが、当時の東海道は海路を通り房総半島の南から来たらしいですね。
又、律令国化家当時現在の道よりはるかに広くて直線的な舗装道路が国分寺から都へ通じていたそうです。
ロマンを感じますね!
by takaki-i (2010-01-09 23:05)
takaki-iさん、
駐車場も整備されていますので、是非行ってみて下さい!
「都に近かったので上総、より遠かったので下総」、
現在の地図と交通手段では逆になります。
当時のことを考えると、とても興味深いですね(^^)v
by an-kazu (2010-01-10 01:07)